西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第七番札所 岡寺 ~龍封じの池 日本最初の厄除け龍蓋寺~

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岡寺本堂

西国三十三所の第七番札所は、東光山とうこうさん岡寺おかでらです。正式な寺号は龍蓋寺りゅうがいじというそうですが、古くから飛鳥の地を東より望む岡にあるお寺、ということで岡寺と呼ばれてきました。西国三十三所札所会ホームページでも、岡寺として掲載されています。

岡寺の巡礼情報

岡寺は、ホームページでもアピールされておられるとおり、「日本で最初の厄除け霊場」とされています。

実際、鎌倉時代初期に成立したと考えられる『水鏡』は、次のような書き出しで始まっています*1

つゝしむべき年にて、過ぎにし如月きさらぎの初午はつむまの日、龍蓋寺りうがいじへ詣まうで侍りて、やがてそれより泊瀬はつせに、たそがれの程に参り著きたりし……(後略) 

つまり、厄年だったので去る二月の初午の日に、龍蓋寺へお参りし、そのままそこから長谷寺に向かい、夕暮れのころに到着しました、ということです。

かなり早い段階から、厄除けにご利益があるお寺として知られていたことが分かります。また、岡寺から長谷寺に参るのもゴールデンコースだったのでしょう。

岡寺の縁起 

岡寺の成立縁起は、岡寺のホームページに詳しく記載されています。

それによると、およそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されたということになっています。天智天皇の在位年代は668年から672年ですので、その間に創建されたということでしょう。

ただ、この義淵僧正という人物、謎が多い人物です。ホームページの文章を引用させていただきます。

 開祖の義淵僧正とは伝説にみちた人で、生年不明(?~728)。ただ出生には伝説が残されています。大和国高市郡に子供に恵まれない夫婦がおり、彼等は日々観音様に子が授かるよう祈りを捧げていました。そんなある日の夜突然子供の泣き声がして、夫婦が表に出てみると柴垣の上に白い布に包まれた赤子がおり、驚き中に連れて入ると馥郁たる香りがたちまちに家の中に満ちました。その後この夫婦に養育されていましたが、その噂を聞いた天智天皇は観音様の申し子だとしてこの子供を引き取られ、岡宮で草壁皇子(662~689)とともに育てられました。
この子供こそ後の義淵僧正その人である。というのが出生の伝説です。

ここで年代的に少し無理が生じます。つまり、草壁皇子とともに育てられたということは、いくら歳が離れていたとしても、せいぜい10歳くらいでしょう。そうすると生年は652年ごろということになります。となると、どう頑張っても20歳までに岡寺を建立しないといけない、ということになってしまいます。まったく不可能というわけではありませんが、少し不合理なように思います。

また、 歴代の高僧がに留学した記録である『入唐記』*2では、道照という僧侶の項目に、次のように書いてあります。

道照和尚龍蓋寺 義淵僧正弟子 道慈道場道鏡等同法也 

つまり、道照という僧侶は、龍蓋寺義淵僧正の弟子で、道慈道場道鏡等もみな同じ流れである、ということでしょう。しかもその後に続けて、孝徳天皇の白雉4(653)年にに留学した、と書いてあります。

また、次の道慈律師の項目にも、義淵僧正の弟子だということが書いてあり、大宝元(701)年にに留学した、となっています。

そう考えてくると、義淵僧正天智天皇に育てられたというお話は、後の人が義淵僧正を高貴な人物として仮託するために付け加えたお話であるような気がします。史料的な裏付けが乏しいので、あくまで個人的な見解として述べさせていただきます。

また、「龍蓋寺」という名前について説明しておきます。ホームページでも紹介されている伝承によれば、ここ飛鳥の地に農地を荒らし人々を困らせている悪龍がいたそうです。そこで義淵僧正が法力によってこの龍を退治し、池に封じ込められました。その際、大きな石で蓋をしたことから、「龍蓋寺」と呼ばれるようになったということです。

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※龍蓋池前のレリーフ

岡寺の見所

岡寺の見所をご紹介します。

仁王門

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※岡寺仁王門

江戸時代初期の慶長17(1612)年の建立です。1960年代に解体修理を行った際、ほとんどの部材が他の建物の材木の転用であったことが判明したそうです。お寺では室町時代の文明4(1472)年の大風で倒壊し、再建を試みるも完成にいたらなかった三重塔のものではないか、とお考えのようです。国指定の重要文化財となっています。

鐘楼堂

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※鐘楼堂

多くのお寺が鐘楼と呼称しているなか、あえて「鐘楼堂」と呼称しておられます。こちらも袴腰です。正確な建立年代は不明とのことですが、梵鐘の銘に江戸時代後期の文化5(1808)年と書かれていることから、本堂も含め同時期に建立されたのではないか、とのことです。実は鐘の中央付近に七つの穴が開いています。これは戦時中に供出対象かどうかの検査で開けられた、とのことです。しかし幸いにも供出を免れ、文字どおり「厄除鐘」として今も美しい響きを伝えているということです。

開山堂

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※開山堂 右は本堂

本堂の左側に軒を連ねるお堂です。阿弥陀三尊をお祀りしています。お寺のホームページによると、江戸時代後期の寛政9(1797)年に多武峰妙楽寺(現談山神社)に建築されたと考えられ、明治4(1871)年にこの地に移築されたそうです。当時は廃仏毀釈運動が盛んだったことから、神社内の仏堂が排斥されたのでしょう。

本堂

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※本堂正面

現在の本堂江戸時代後期の文化2(1805)年の上棟で、完成までに30年以上かかったそうです。4メートルを超える日本最大の塑像観音像が内陣に祀られています。厄除けの繁忙期にあたる1~3月は内陣の一般参拝ができないとのことで、4月以降は参拝可能とのことです。内陣拝観料は無料です。奈良県の指定文化財となっています。

塑像如意輪観音座像

岡寺ご本尊です。塑像としては日本最大の4.85メートルの大きさを誇り、また如意輪観音像としても最古とされます。奈良時代の制作で、国指定の重要文化財となっています。手が二本(二臂)というのは観音像としてかなり珍しいものであり、岡寺の如意輪観音像と第十三番石山寺ご本尊如意輪観音半跏像の二尊だけだそうです。寺伝によれば弘法大師日本中国インドの三国の土を使って作成されたともされます。

古来より、「銅像」である東大寺毘盧遮那仏(いわゆる奈良の大仏)、「木像」である長谷寺ご本尊十一面観世音菩薩立像、「塑像」である岡寺のこのご本尊をあわせて、日本三大仏と言われているそうです。

確かに、虚空を見つめておられる堂々としたそのお姿は、大仏の名にふさわしくある種の威厳を持っておられます。

写真はお寺のホームページからご覧ください。

龍蓋池

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※龍蓋池

義淵僧正が龍を封じ込めたとされる池です。蓋となっている石の周りに結界が張られています。雨乞いの際には、この石を触って祈禱をしたとされています。

奥之院石窟

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※奥之院石窟

龍蓋池から奥は奥之院となっています。右奥にあるのが「弥勒の窟」とも呼ばれる石窟堂で、中には石像の弥勒菩薩坐像が祀られています。天井は低く、上から水が滴ってくるので要注意です。

義淵僧正廟所

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※義淵僧正廟所の石塔

奥之院石窟で折り返して本堂の正面の高台に出ます。本堂を見下ろす場所に、義淵僧正廟所があります。宝塔は南北朝時代の制作だと伝えられています。

三重宝塔

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※三重宝塔

室町時代の文明4(1472)年の大風による倒壊以来、再建されなかったのですが、1986年に514年ぶりに再建されました。荘厳としての扉絵や壁画などすべての完成は2001年のことです。

毎年10月の第3日曜日に行われる開山忌で、扉絵や壁画などが年に一度公開されています。

大師堂

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※大師堂 右は修行大師像 左は稚児大師像

昭和の初めごろの建立とのことですから、約100年の歴史があります。ここから下に降りると仁王門の方へ戻ることができます。

義淵僧正座像

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※義淵僧正座像(出典:Wikipedia

岡寺の開祖である義淵僧正の坐像です。義淵僧正は日本で最初の「僧正」とされ、主だった弟子としては、玄昉げんぼう道慈良弁ろうべん行基などが挙げられます。飛鳥時代から奈良時代にかけての仏教界における、重鎮中の重鎮と言えるでしょう。

坐像は木心の乾漆像で、木心部自体が彫像としてほぼ完成の域にあると考えられているそうです。制作年代は8世紀末とされます。現在は奈良国立博物館に寄託中とのことです。国宝指定されています。

岡寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

けさみれば つゆおかでらの にわのこけ

 さながらるりの ひかりなりけり

(けさみれば つゆ岡寺の 庭の苔

   さながら瑠璃の 光なりけり)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*3によります。

「けさみれば」とは、今朝ふと目が覚めて起き出して、庭の辺りを眺めやると、の意ではないでしょうか。「つゆ岡寺の 庭の苔」とは、昔から露とか、霜などは、降りていることを、置くというふうに表現されてきました。岡寺の岡と置くとは和歌などでしばしば用いられる掛け言葉で、「岡寺の庭の苔の上に、朝露が降りているよ」というところを、掛け言葉を利用して、短く文学的に表現されたのです。「さながら瑠璃の 光なりけり」とは、苔の露に朝の光が当たって、瑠璃のように光っていると受けとれます。 

私は歌の解釈は素人なのですが、「けさ」というのは、「袈裟」もかかっているような気がします。もしかするとお坊さまの袈裟を見て、美々しい瑠璃のような輝きがあった、ということを詠んでいるかもしれません。

なお、このご詠歌にあやかったのか、どちらが古いのか分かりませんが、岡寺には「瑠璃の井」 と呼ばれる井戸があり、現在も滾々と水が湧き出ているそうです。

岡寺へのアクセス

岡寺ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

公共交通機関

近鉄「橿原神宮前駅」から奈良交通バス「飛鳥駅」行、「石舞台」行または「橿原神宮前駅東口」行に乗車、「岡寺前」下車徒歩約10分(「橿原神宮前駅」から約35分)

お車

京奈和自動車道「御所IC」から東へ約15分。

境内前に駐車場あり。約30台。無料。

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※岡寺臨時駐車場

境内前までの道が細く離合が困難なため、運転に自信のない方は県道15号線沿いの「岡寺門前駐車場」(観光明日香公共事業株式会社運営)に停める方が無難。500円。なお、「門前」とはいうものの、徒歩5分弱かかる。

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※岡寺門前駐車場の案内板

岡寺(龍蓋寺)データ

ご本尊 :如意輪観世音菩薩

宗派  :真言宗豊山派

霊場  :西国三十三所 第七番札所

所在地 :〒634-0111 奈良県高市郡明日香村岡806

電話番号:0744-54-2007

拝観時間:8:30~17:00(冬季は16:30)

拝観料 :大人400円(大学生以上) 高校生300円 中学生200円

URL   :https://www.okadera3307.com/

境内案内図

上記サイトに案内図があります。

 

第六番 南法華寺(壷阪寺) ◁ 第七番 岡寺(龍蓋寺) ▷ 番外 法起院 

南坊の巡礼記「岡寺」(2021.3.14)

壷阪寺を13時40分ごろに出発し、下道を車で北上します。国道169号線を走るとしばらくして道の駅飛鳥がありました。簡単に食べれる蕎麦なんかがあればいいかな、とも思いながら、スイーツ巡礼として紹介されていた明日香村のcafeことだまに行こうと考えていたので、スルーします。そこから東へ進み、明日香村の中心部を横目に見ながらcafeことだまを目指しました。1650円のものすごくおしゃれなランチがあるのでどうしようか、この時間だし喫茶メニューで軽く済ませるか、などと考えながら車を進めると、何と驚異的な行列が! これはムリと考え、岡寺を先にお参りすることにしました。15時くらいになったら空いていると思ったのです。

事前に駐車場の情報をGETしていなかったので、どう行けばいいのか分からず、適当にナビどおりに車を進めます。途中で細そうなところに入れ、と言われましたが、細いので人間専用の参道かと思ったのと、岡寺門前駐車場の看板に目を奪われて看板の指示どおりに進むことにしました。直進左折します。

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※県道15号線から岡寺への参道 狭いが車も通れる

しばらく進むと、岡寺門前駐車場に到着しました。ここは何も言わなくても、すぐにお父さまが集金に来られます。500円でした。明日香村の駐車場の料金は、どこも均一になっているのでしょうね。

門前と言いながら門が見えないのですが、案内どおりに進みます。奥に登っていくところがあります。なかなかの傾斜です。右端が階段になっており、それ以外のわりと広い部分がただの坂なのですが、何のとっかかりもない坂なので、とてもではありませんが、歩けません。

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※門前駐車場からの参道

というわけで、明らかに不審がられていましたが、女性二人組が下りられるのを待って上ります。

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※治田神社

実は登って右側を見ると、治田神社と書いてあり、史跡岡寺跡という案内板がありました。岡寺伽藍は、江戸時代以前と場所が少し変わっているようです。

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※史跡岡寺跡の案内板

向き直って、来た方向から左を向くと、岡寺仁王門です。

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※岡寺仁王門

私は水色の駐車場からのルートで行っていますが、なぜか赤色のルートで来ている人がいます。後から分かったことですが、無料の臨時駐車場があったのでした。

仁王門手前の入山受付で入山料400円を支払い、いざ境内へ足を踏み入れます。

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※岡寺本堂(中央やや左奥) 手前は開山堂

右に階段を上り、また左に折れて上ると伽藍の中枢に到着です。仁王門をくぐって3分もかかりません。

本堂に行きますと、中で座っておられる方々にお坊さまがご祈祷をされているようでした。入れるのかな?と思い、読経を済ませ納経所ご宝印をいただいてから納経所のお母さまにおうかがいすると、4月からは本堂内陣に入れるとのことですが、3月中は入れない、とのことでした。約2週間、早く来すぎてしまったようです。

そして実は一切記憶がないのですが、ご本尊をガラス越しにも拝顔してないと思うんですよね。すでにレポートしているとおり、4月9日の特別拝観時にはガラス越しにも写真が撮れたくらいですから、見えているのであれば記憶に残っていると思うのですが……。ご開扉されてなかったのでしょうね。あいまいな記憶で申し訳ありません。

さて、本堂を出てふと左に目をやるとあります、池が。これが龍封じの池なんでしょうね。

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※龍蓋池 意外と小さい

思っていたよりは小さくて、少し驚きます。結界のようなものが張られているのがちょっとすごいですね。

龍蓋池から奥は奥之院になっています。

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※奥之院案内図

全札所の奥之院のなかでも、屈指の近接ぶりです。5分程度で石窟にも到着しました。その分、こちらは助かります。本当に山奥まで行かないと奥之院がないお寺もありますから、そうなると1日に複数の札所を巡ることが難しくなります。

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※奥之院石窟 外から撮影

石窟は本当に狭く、菅笠をかぶっているとところどころ天井に当たってしまいます。しかし、天井から水がポタラポタラと滴ってくるので、菅笠なしだとかなり気持ち悪いと思います。ヒルとかが落ちてきたら、もう絶叫です。

そこからは、V字型に道を折り返しながらも登っていく感じになります。

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※斜め上から本堂を見下ろす

少し進んだだけで、もうこんな感じで本堂を見下ろします。しかしそんなに道がキツイわけではありませんので、ご安心ください。

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※義淵僧正廟所の案内板

途中には義淵僧正ご廟所などもあります。

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※ご廟所から見た本堂

トップ写真にしようかどうか迷ったくらい、いい感じで本堂の写真がとれます。花の季節はもっと美しい景色になるんでしょうね。と思ったのですが、4月9日に撮影した写真がこちらです。

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※ご廟所から見た本堂 2021年4月9日撮影

むしろ五色幕が取り払われて色味的には寂しくなったようにも感じます。まあ、木々の青みはキレイになっていますが。

そこからは下りになり、三重塔大師堂を経て仁王門まで下っていきます。ざっと1時間程度でしょうか。

仁王門を出てから、少し散策をしました。そこで、無料の臨時駐車場があったことを知りました。また、臨時駐車場から参道をずんずんと下っていくと、参道の入口に到着しました。

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※岡寺参道入口

何と、ここはcafeことだまのわずか30メートルほど北です。また、バス停もここのすぐ傍にあります。本来はここから登っていくべきなんでしょうね。

そこからぐるっと県道15号線まで出て、駐車場に戻りました。

車で5分ほど走り、再度cafeことだまを目指します。時刻は15時半くらいでした。私の読みどおり、行列は激減していました! 駐車場は南側から近づくと右手に曲がるところがあり、ちょうどお店の裏手にあります。10台程度でしょうか。飛鳥おもいで堂という雑貨屋さんと駐車場が明確に区分されているのかいないのかよく分からなかったのですが、何とか1台分空いていました! 早速停めさせていただき表側に回ります。

やはり行列は劇的に減少しているようです。しめしめと、お店の中に入りましたが……。お名前を書く紙があります。まだ20組くらいは並んでいる! さすが明日香、さすがおしゃれカフェ! 漏れ聞こえて来たご夫婦の会話では、「5時までかかるな……」という衝撃の一言が! 即断でお店で食べるのを諦めます。実はこのお店に来た一番の目的は、西国三十三所札所会の草創1300年記念特設サイト内の「スイーツ巡礼」で紹介されている、八宝茶を買うことだったのです。というわけで、お店入ってすぐのエリアは、ちょっとしたおしゃれショップ風になっていますので、そこで目的の品を探し、サクッと購入して撤退です。17時ごろには帰宅することができました。あのご夫婦はきちんとお茶できたのかどうか、それはもはや他人事でしかありませんでした……。

若干、岡寺と関係ないレポートもありましたが、岡寺の巡礼記は以上です。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「南法華寺(壷阪寺)」(2021.3.14) ◁ 南坊の巡礼記「岡寺」(2021.3.14)

南坊の巡礼記「岡寺」(2021.3.14) ▷ 南坊の巡礼記「長谷寺」(2021.4.2)

 

最終更新:2021.5.27

*1:国会図書館デジタルコレクション『枕草子』所収『日本文学大系:校注 第12巻』

*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯下 釈家部』八木書店(2013)

*3:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)