西国三十三所の番外札所の一ヶ寺目は、法起院です。西国三十三所札所会のホームページでは番外札所についてとくに説明がありませんが、札所会推薦の納経帳にはあらかじめ番外札所のページが設けられています。いつごろから番外札所とされたのかははっきりとは分かりませんが、長谷寺の目と鼻の先にあることから、あわせてお参りする人も増え、番外札所となったのでしょう。
法起院の巡礼情報
法起院は西国三十三所の観音巡礼を創始した徳道上人のご廟所です。上人が遷化されたご廟所にふさわしく、長谷寺参道に面しながら喧噪とは無縁の、閑静な小さなお寺です。
法起院の縁起
法起院の成立縁起は、法起院のホームページに記載されています。
それによると、徳道上人は斉明天皇2(656)年、播磨の国矢田部の里で誕生された、ということです。
なお、このことは菅原道真筆といわれる『長谷寺縁起文』*1にも記載されています。ただ、『縁起文』に記載がない記述がありますので、少し引用させていただきます。
その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡(ますみかがみ)のように美しく清らかで、髪の毛は 梳(くしけず)れば滴(したた)るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人達は目を見張ったそうです。
寡聞にして出典はちょっと分かりません。また勉強させていただきたいと思いますが、とにかく非凡な子どもだったようです。
なお、『縁起文』によるとわずか11歳で父を喪い、さらに19歳で母も喪ったとのことです。そこから父母の菩提を弔うため20歳で出家し、長谷寺の道明上人の弟子になったとされます。
その後、精進して修行を重ね、長谷寺の観音像や観音堂の造立に力を尽くしたことは、「西国三十三所 第八番札所 長谷寺 ~観音巡礼始まりの地 札所屈指の霊山・花のお寺~」で述べたとおりです。
また、徳道上人が西国三十三所の巡礼を始めた経緯も、「西国三十三所 観音巡礼はいつから始まったの?」ですでに述べさせていただきました。
なお、西国三十三所札所会ホームページ「西国三十三所巡礼とは」(2021.4.28閲覧)では「当時の人々には受け入れられず、三十三の宝印を中山寺の石櫃に納められました」と書かれていたり、法起院の上記ホームページでは「人々は上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています」と記載されていたりします。
しかし、『中山寺縁起』*2には、「是より人を勧て巡礼の法を行に信従するもの夥し」とありますので、むしろ多くの人が巡礼を始めたことが分かります。また、同書では続けて、次のように述べています。
是しかしながら閻王の金言。衆生得楽の方便たりしかども。漸二十年の時節を過て二百余歳退転せり
つまり、20年くらいは流行したけれども、その後ブームは去り、200年余り衰退してしまった、ということでしょう。
どちらが正しいのかは分かりませんが、おそらく徳道上人がいったんお亡くなりになり閻魔大王と謁見して西国巡礼を開始し、多くの者がつき従ったものの、徳道上人が法起菩薩に遷化されてこの世を去られてからは、自然と廃れていったものと考えられます。西国三十三所の観音巡礼は、最初は徳道上人ありきの巡礼だったのではないでしょうか。
さて、長谷寺の伽藍整備に尽力された徳道上人ですが、晩年は隠棲されて天平7(726)年にこの法起院を建立されました。そして晩年に法起院内の松の木の上から法起菩薩さまと化して去って行かれたと伝えられています。法起菩薩さまは日本でお生まれになられた珍しい仏さまで、五眼六臂のお姿をされているそうです*3。
現在の堂宇は、江戸時代前期の元禄8(1695)年、長谷寺化主英岳僧正が再建され、総本山長谷寺塔頭開山堂として整備されたということです。
法起院の見所
法起院の見所をご紹介します。
本堂
※法起院本堂
法起院の本堂です。長谷寺の塔頭の一つとして、開山堂とされます。元禄8(1695)年、長谷寺化主の英岳僧正により再建されました。お堂は珍しく北面していますが、長谷寺のご本尊十一面観音さまに拝礼するためとされます。法起院のご本尊は徳道上人ご自作とされる徳道上人像です。写真は、下記のホームページにてご覧いただけます。
上人ご廟十三重石塔
※徳道上人ご廟
徳道上人の眠るご廟所です。十三重の石塔があります。石塔の周囲は西国三十三所のお砂踏みとなっています。また、左奥にある葉書きの木(多羅葉タラヨウ)は「はがき」の由来となった木とされており、横にあるボックス内でこの木の葉をかたどった紙に願い事を書くことができるようになっています。
徳道上人「沓脱ぎの石」
※沓脱ぎの石
徳道上人がこの石の上で沓くつを脱がれ、松の木に登られて法起菩薩と化して去って行かれたと伝えられています。触れると願い事がかなうと言われています。
法起院のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられていますが、番外札所はそうとは限らないようです。
ごくらくは よそにはあらじ わがこころ
おなじはちすの へだてやはある
(極楽は よそにはあらじ わが心
おなじ蓮の へだてやはある)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*4によります。
この歌は極楽が遠く離れたところにあると思わず、極楽も地獄も、実はわが心の中にあると思って、思い開きをしてみよ、そうすれば、いつかは、わが心の中にお浄土が出現するのであると述べられているのです。極楽に咲く蓮の花も、この世に咲く蓮の花も、どこに違いがあるであろうかというのがこの御詠歌の心かと思います。
実はキリスト教の開祖イエスも同じようなことを言っています。「神の國は卽ち汝等らの中に在ればなり」*5という言葉がそれです。
ご詠歌も、イエスの言葉も、物理的な極楽・神の国を想定しているのではなく、すべては人々の心の持ち方次第だと説いているのです。時代も地域も超えた両者ですが、奇しくも同じようなことを言っているのは、とても興味深いですね。人類にとっての普遍的な真理と言えるのではないでしょうか。
法起院へのアクセス
法起院ホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
近鉄「長谷寺駅」下車徒歩約15分。
お車
名阪国道「福住IC」から南下。約25分。
境内前に駐車場あり。6台。無料。
南側の国道165号線側からアクセスした場合、細い参道を通る必要あり。参道沿いに民間の駐車場も多数。だいたい500円。
法起院データ
ご本尊 :徳道上人
宗派 :真言宗豊山派
霊場 :西国三十三所 番外札所
所在地 :〒633-0112 奈良県桜井市初瀬776番地
電話番号:0744-47-8032
拝観時間:8:30~17:00(通常)
9:00~16:30(12/1~3/19)
拝観料 :無料
URL :http://www.houkiin.or.jp/index.html
第七番 岡寺(龍蓋寺) ◁ 番外 法起院 ▷ 第八番 長谷寺
南坊の巡礼記「法起院」(2021.4.2)
長谷寺の参拝を終えた後、ふと思い立ち又兵衛桜またべえざくらに行ってみようかと考えました。数年前に行ったことがあったのですが、今年は桜も早いので見ごろになっているかもしれないと考えたのです。又兵衛桜は枝垂れ桜なので、見ごろは少し遅くなるはずです。で結局行ったのですが、そのレポートが「戦国の猛将の眠る地 又兵衛桜に行ってきました!」です。
ところが、その出発の段階では重要なことを忘れていました。何かと言うと、長谷寺の納経所で「法起院に行かれましたか?」と聞かれていたのに、法起院のことをすっかり忘れてしまっていたのです。法起院にはもともと行くつもりだったので、予習もしていたのですが、順番としては本来長谷寺の前に行くべきだったのですね。紀三井寺前貫主前田孝道師の『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』*6でも、「岡寺→法起院→長谷寺」の順番で掲載されています。
で、又兵衛桜に向かって車を走らせ始めました。結果として、これが怪我の功名だったのです! もしそのまま次の札所である興福寺南円堂を目指していたとすれば、そのまま北に向かってしまっていた可能性が高いです。となると、長谷寺に来たときと同じように県道38号線を北上することになったわけです。そうすると、法起院の存在をすっかり忘れてしまっていたまま興福寺南円堂に到達していたでしょう。
しかし、観音さまは私をお導きくださいました! 又兵衛桜に向かって長谷寺の参道を南へ下っていくと、ふと目についた看板があります。「法起院駐車場」と書いてあります。「げっ」と思い急ブレーキを踏み、車を停めます。少しバックするような形で何とか駐車場に車を停めることができました。しかも、ここは無料です。ありがたいですね。
※法起院山門と駐車スペース
実は上の写真のとおり山門前に駐車スペースがありますが、そこではなくこの写真の右側にきちんと整備された駐車場があります。ただ、かなり細い駐車場で斜めに停めなければいけないため、停める際にはご注意ください。それにしても、看板が大きくて助かりました。
※山門前にある法起院境内案内図 思っていた以上に小ぢんまりしている
本当に小さなお寺で、山門をくぐるとすぐに本堂です。というわけで、すぐに納経をさせていただきます。ひととおりお勤めを終えて、納経所となっている隣の建物でご宝印をいただきます。西国三十三所の札所では、観音さまをお祀りしている「大悲殿」と書かれていることが多いですが、こちらでは「開山堂」と書かれています。長谷寺の開山堂であり、徳道上人をお祀りしているからでしょう。
左奥にあった徳道上人のご廟は、中に入ることができます。西国三十三所のお砂踏みにもなっていて、交通手段の発達していなかった昔の人はここを回って西国三十三所をお参りしたご利益をいただこうとしていたのでしょう。
また、そのご廟所の左奥には「葉書きの木」がありました。調べると、多羅葉タラヨウという木の種類らしいですね。葉の裏にとがったもので文字を書くとインクもないのに文字が書けるということで、一説には「葉書き」の語源になったともされているそうです。
長谷寺の参道は平日ながらそこそこ人が歩いておられますが、このお寺は本当に静かにお参りができます。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「長谷寺」(2021.4.2) ◁ 南坊の巡礼記「法起院」(2021.4.2)
南坊の巡礼記「法起院」(2021.4.2) ▷ 南坊の巡礼記「興福寺」(2021.4.2)
最終更新:2021.5.27