西国お遍路“行雲流水”

西国三十三所や四国八十八ヶ所を雲のごとく水のごとく巡礼した記録

西国三十三所 第十五番札所 今熊野観音寺 ~都の辺縁の異界 死と不可分の那智山請来の地~

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今熊野観音寺本堂

西国三十三所の第十五番札所は、新那智山しんなちざん今熊野観音寺いまくまのかんのんじです。単に今熊野と呼ばれたり、観音寺と呼ばれることもあるようです。現在は御寺みてらの名でも知られている泉涌寺せんにゅうじの塔頭たっちゅうの一つとなっていますが、もともとはこのお寺の方が力があったと考えられます。現在でも、毎年四国八十八ヶ所のお砂踏法要を開催されるなど、霊地を維持するご努力を続けておられるお寺です。

今熊野観音寺の巡礼情報

平安時代以降、熊野信仰が強まるとともに、熊野詣くまのもうでが盛んになります。一方で、様々な制約から、熊野詣を実現できない人々もいました。そこで、自身33度にもわたる熊野詣を実現したとされる後白河法皇が、永暦元(1160)年にこの地に熊野権現を勧請され、「新那智山」という山号を定めるとともに、山麓に新熊野神社を造られました。こうして、都における那智山、熊野信仰の霊地として、今熊野観音寺が信奉されるようになったのです。

今熊野観音寺の縁起

今熊野観音寺の成立縁起は、今熊野観音寺のホームページに詳しく記載されています。

www.kannon.jp(2021.5.16閲覧)

そのお話を元に、物語を完結にまとめてみます。

 

平安時代弘法大師東寺で修行されていたところ、東山の山中に光明がさし瑞雲が棚引いているのをご覧になりました。そこで弘法大師が行ってみられたところ、老翁が姿を現し、「この山に一寸八分(約5.4cm)の観音さまがおられます。天照大神がお作りになったものです。この地にお寺を築いて観音さまを祀り、人々をお救いください」と申し上げました。弘法大師が老翁に「あなたはどなたですか」と尋ねられると、「熊野権現です。永くこの地を鎮護いたしましょう」と述べられて姿を消してしまいました。そこで弘法大師がこの地にお寺を建立され、自ら刻んだ十一面観世音菩薩像に例の観音さまを胎内仏として納められました。

また、このとき大師が錫杖で岩を打ったところ、霊泉が湧き出しました。大師はこの水を「五智水」と名づけられ、今でも絶えることなく湧き出ています。~

 

伝説の上では、創建年代がはっきりしていません。今までの札所寺院は伝説と思われるものでも創建年代がはっきりしていましたが、このお寺は少し特殊なようです。

実は民俗学者の五来重さんも指摘されている*1とおり、『寺門高僧記』*2に収められている平安時代後期の僧、行尊(1055~1135)や覚忠(1118~1177)の巡礼記によると、少し事情が異なっているようです。

まず、行尊伝によりますと次のように書かれています。

観音寺。等身千手。新熊野奥。願主。山本大臣。東寺末寺。

ご本尊が十一面観世音菩薩ではなく、千手観音菩薩となっています。

また、覚忠伝では次のように書かれています。

山城国東山観音寺。御堂五間南向。本尊千手。願主山本大臣。基—中納言。弘法大師建立。東寺末寺。新熊野奥有之。 

こちらもご本尊は千手観音菩薩となっています。

なお、両者ともに字が小さい箇所は注釈部分であり、後世の付記と思われます。

両者に共通する願主の山本大臣とは、藤原百川の息子で左大臣まで務めた藤原緒嗣(774~843)のことを指します。

また、西国三十三所札所会ホームページの今熊野観音寺*3 には、以下のように記載されています。

観音寺は825年頃(平安時代)嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創されました。

※漢数字をアラビア数字に改めています

これらのことから総合すると、弘法大師の開基というのはいささか伝説の可能性を排除できないものの、少なくともそれと同時代の藤原緒嗣が伽藍を造営したことは間違いないと思われます。平安時代には千手観音が祀られていたのに、何らかのいきさつがあって、十一面観音がご本尊となってしまい、弘法大師と結びつくことになったとも考えられます。 

なお、泉涌寺の方に今熊野観音寺の創建縁起との混同も見られるように思います*4。泉涌寺の成立について、以下のように書かれています。

斉衡2年(855)左大臣藤原緒嗣が僧・神修のために山荘を与えて寺となし仙遊寺と称するようになり……(後略)。

この記述は実は泉涌寺の成立縁起ではなく、今熊野観音寺の成立縁起に近いように思われます。 

また、今熊野観音寺のホームページによると、古来この地は都人にとって重要な地域だったとされます。東山七条の東にある阿弥陀が峰の北西一帯を鳥辺野とりべの、南西一帯を鳥戸野とりべのと呼び、北西の鳥辺野は庶民の、南西の鳥戸野は貴人の葬地だったそうです。このうち、南西の鳥戸野を掌っていたのが今熊野観音寺だったとのことで、この地は「死」と不可分の土地だったわけです。だからこそ、死と再生の聖地である那智山が勧請されて今熊野となったのでしょう。

いずれにせよ、都が京に遷った平安時代の初期には、貴人の葬地はすでに必要になっていたはずですので、お寺の創建はその時代にさかのぼるのではないでしょうか。

今熊野観音寺の見所

今熊野観音寺の見所をご紹介します。

鳥居橋

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※鳥居橋 

朱色の鳥居橋です。今熊野観音寺泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川と言いますが、その川にかかっているのがこの橋です。古くからこの地に熊野権現社が鎮まっていたことから、神社の鳥居を意味する名前がついたと考えられているそうです。

子護大師こまもりだいし

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※子護大師

弘法大師が子どもと戯れている珍しい像です。周囲には四国八十八ヶ所霊場の砂が埋められており、お砂踏ができるようになっています。

大師堂

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※大師堂とぼけ封じ観音

開山とされる弘法大師をお祀りしています。東山大師と呼ばれ、この地域の大師信仰の中心となっています。不動明王や愛染明王、また伽藍を建立した藤原緒嗣の像もお祀りされているそうです。前に立っておられる観音さまは、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場めぐりの第一番とされています。

五智水

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※五智水

弘法大師がこの山を開かれた際、錫杖で岩を打ったところ湧き出したのがこの五智水とされます。今は井戸のようになっています。

本堂

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※本堂

現在の本堂江戸時代中期の正徳2(1712)年に宗恕祖元律師によって建立されたものとされます。実はもともとこの場所は、かつての奥の院順礼堂にあたると伝えられているそうです。ご本尊秘仏ですが、同じお姿であるとされるお前立ちを拝むことができます。脇侍は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王像、運慶作と伝えられる毘沙門天像とのことで、かなり由緒あるお寺だということが、これらの仏像からもうかがえます。

鐘楼

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※鐘楼

鐘楼梵鐘の建造年代は分かりませんが、太平洋戦争の際、梵鐘は供出されたそうです。しかし、奇跡的に元の姿のまま返ってきたとのことです。

熊野権現社

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※熊野権現社

この地の鎮守社である、熊野権現をお祀りする社です。弘法大師はこの地で熊野権現と会われたとされます。

金龍弁財天

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※金龍弁財天の祠

境内の池の近くに金色のヘビが現れたことから、神様としてお祀りされるようになったそうです。

今熊野西国霊場

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※華厳寺ご本尊

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※六波羅蜜寺ご本尊

鐘楼の横から医聖堂にかけて、ぐるっと一回りするようにして配されているのが、西国三十三所の各札所のご本尊を写した石仏です。元々は華厳寺のように札所の番号や寺号などが石に彫られていたようですが、布がかけられており、それが見えなくなっています。その代わりとして木板に書いて立てかけたのでしょうが、それもほとんどがかすれて見えなくなっています。この西国三十三所霊場の写しは、十二番の正法寺よりも大掛かりな、巡拝型になっています。

医聖堂

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※医聖堂

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※医心方の石碑

由来がはっきりとは分かりませんが、境内で最も高いところに建っている平安様式の多宝塔です。医学会で貢献された多くの方々がお祀りされているそうです。傍らには、平安時代中期の医学者で永観2(984)年に『医心方』全30巻を朝廷に献上した丹波康頼を記念する石碑が建っています。

今熊野観音寺のご詠歌

ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。

むかしより たつともしらぬ いまぐまの

 ほとけのちかい あらたなりけり

(昔より 立つともしらぬ 今熊野いまくまの

   仏の誓い あらたなりけり)

漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道*5によります。

この御詠歌には「昔」と「今」、「今」と「あらた」の対句が巧みに用いられています。「あらた」は霊験「あらたか」に掛かる言葉でもあります。

(中略)

そこでこの御詠歌の意味を、花山法皇さまのお気持ちに近づいて考えてみますに、「新那智山といい、今熊野といい『新』と『今』という言葉が使用されていますので、お寺ができてまだ間もないように思われるかもしれないが、すでに長い年月が経っている。ここはそれだけの歴史と由緒が備わった霊場である。しかも、この寺にまつられている御本尊十一面観世音菩薩の、衆生済度のお誓いの心は、いつも新鮮にして、そのご霊験があらたかである」と受けとらせていただくことができましょう。

『西国三十三所勤行次第』によりますと、「いまぐまの」と書かれています。現在、お寺のホームページでは、「いまくまの」と濁らずに読んでいますので、ご詠歌では何か濁らせる理由があるのかもしれません。また、調べておきたいと思います。

今熊野観音寺へのアクセス

今熊野観音寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。

www.kannon.jp(2021.5.16閲覧)

公共交通機関

JR「東福寺駅」から徒歩約15分。

お車

第二京阪道路「鴨川西IC」から北東に約10分。

境内に駐車場あり。10数台。無料。

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※境内入って右側の駐車場 左側の大講堂前にも停められる

今熊野観音寺データ

ご本尊 :十一面観世音菩薩

宗派  :真言宗泉涌寺派

霊場  :西国三十三所 第十五番札所

     ぼけ封じ近畿十楽観音霊場めぐり 第一番

     洛陽三十三所観音霊場巡礼 第19番

     神仏霊場巡拝の道 第122番

所在地 :〒605-0977 京都市東山区泉涌寺山内町32

電話番号:075-561-5511

拝観時間:8:00~17:00

拝観料 :無料       

URL   :http://www.kannon.jp/

 

番外 元慶寺 ▷ 第十五番 今熊野観音寺 ▷ 第十六番 清水寺

南坊の巡礼記「今熊野観音寺」(2021.4.15)

2021年4月15日、京都の札所を四つ回ってきました。

前週の4月8日に十四番の三井寺まで回っていますので、これから京都の札所を順番に回っていきます。番外の元慶寺は4月7日に打ち終わっていますので、十五番の今熊野観音寺から再開です。京都市内の東山や左京に十五番今熊野観音寺、十六番清水寺、十七番六波羅蜜寺、十八番六角堂、十九番革堂こうどうと続いています。

予習や復習のことを考えると、あまり数を打ちたくないので、十九番革堂は翌日に回し、二十番善峯寺よしみねでらと二十一番穴太寺あなおじと一緒に回ることにしました。革堂六角堂はめちゃくちゃ近いので、後から考えると一緒に回っておけばよかったように思います。しかし、一日にたくさん回ると、記憶が薄れていくんですよね。これは四国で経験済みで、どのお寺での出来事だったかその日のうちにメモしていても、混乱して分からなくなってしまうのです。

ということで、十五番から十八番までの四か寺を巡拝していくことにしました。

京都という近場感から少し油断し、出発が8時を過ぎてしまいました。名神高速の「京都南IC」第2出口を出てから、大学時代によく通った九条通りから東大路通りに直結する道を通ります。一応片側二車線の道なんですが、京都は路上に停車している車が多くて、追い越し車線を走る方が無難なんですよね。

Googleマップでは、九条通りが東大路通りに替わるちょうどその地点が「泉涌寺道」という交差点で、南から来た場合は右折しないといけません。しかし割と細い道になっていますので、注意が必要です。形としては、泉涌寺参道を登っていくということになります。泉山幼稚園の送迎バスが往来しますので、離合には細心の注意を払う必要があります。

5分弱進むと、左に今熊野観音寺へと入っていく道が出てきます。

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※今熊野観音寺参道入口

ここの間口もせまいですが、車で入って大丈夫です。

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※今熊野観音寺山門

途中の鳥居橋など、離合不可能な場所もありますが、対向車と呼吸を合わせて何とかやり過ごすしかありません。私は帰りに、鳥居橋の手前で対向車とすれ違いました。鳥居橋の前後は少し道幅に余裕があります。

境内に入って意外に思ったのが、右側の駐車場が満車だったということです。4月12日から京都市にまん延防止等重点措置(※当時)がとられているなかで、ちょっと予想していませんでした。上の写真にもありますとおり、左の大講堂側にも車を停めることができます。何とか1台分のスペースがあったので、愛車を停めることができました。隣の車は白の軽トラですので、造園関係の業者だと思いました。

実は境内にはそれほど参拝者がいらっしゃらなかったので、他の車も業者の方のものだったのかもしれません。

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※集められている道標

古い道標が集められているようです。右から2番目以外は、ちょっと何が書いてあるのか、はっきりと分かりません。おそらく、もともと違う場所にあったものが集められていて、方向もデタラメになっていると思います。

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※参道外から見た子護大師

メインの参道はこの子護大師を抜けて直接本堂のレベルに行くべきだと思うのですが、何となく先に鐘楼を目指してしまいました。境内の外周を回って行くような感覚です。

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※稲荷社(左)と熊野権現社(右)

鐘楼の向かいに二つお社がありました。

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※医聖堂への案内板 西国三十三所巡拝道のスタート地点でもある

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※西国三十三所の第一番?と第二番?

案内板に書いてありましたので、西国三十三所巡りがここから始まるのか、とただ何となく思っていました。まあ今回は結構大変そうだし、まだまだ札所を三つ回らないといけないし、やめておこう、とこのときは思いました。

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※西国三十三所巡拝道の序盤の様子

こんな感じで登っていく様子でしたので、スルーすることにしたのです。

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※池

金龍弁財天をお祀りしているのだと思いますが、池をぐるっと回って大師堂の横を通り、本堂の前の方に進みます。池では、左のパイプから水が出ています。

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※大師堂の横の藤棚

大師堂の横には、藤棚がありました。とてもキレイに咲いています。今年は暖かいので、例年より早いのではないでしょうか。

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※本堂外陣

本堂に入ります。外陣納経をさせていただきました。よく見ると、中に入ることができます。確か右の側面から入ることができたんだったと思います。内陣に入らせていただきました。お前立ちの観音さまを拝することができます。それほど大きくありませんが、金色に輝く神々しい、いや仏々しいお姿です。

ところで、またまたやらかしました。忘れ物大王の私、本日は虎の巻である『西国三十三所勤行次第』を忘れてきてしまいました! 我ながらイヤになります。まあ、仕方がありません。般若心経と延命十句観音経を心中で唱えることにいたしました。仮に間違えていても、誰にも気づかれないでしょう。

納経所はお坊さまでした。割とクールな感じの方でした。

しかし、私がお勤めをしていた間もちらほらと参拝者がやってこられます。完全な白衣輪袈裟姿の、少し年配のご夫婦の巡礼者もいらっしゃいました。入れ代わり立ち代わり参拝の方が来られているようで、空いていると思っていたのですが意外な感じです。

さて、ここでいったん車に戻り、軽装になって鳥居橋参道の入口を見に行きました。途中、境内案内図と説明板がありました。

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※境内案内図

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※説明板

泉涌寺参道から今熊野観音寺参道に分かれるところまで、そんなに距離はありません。歩いても5分程度だったでしょうか。入口も結構はっきりと書いてあるので、間違えることはないと思います。しかし車で入って来られる方は少なく、割と歩いて来られる方がいらっしゃったのですが、泉涌寺の駐車場に車を停めておられるのかもしれません。

境内の方に戻りました。ちょっと気になっていた医聖堂を探すことにします。ちょうど別の若いお坊さまがいらっしゃいましたので、医聖堂の場所を聞きます。すると、西国三十三所の上の方だとおっしゃるではありませんか!

というわけで、回らないことにしていた西国三十三所を、サクサク回ることにします。ほとんどの霊場がどこのものか分からないので、ちょっと面白味に欠けます。かすれている板にはきちんと書き直して欲しいところです。

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※どの霊場かまったく分からない

後から振り返ってみますと、この西国三十三所霊場巡拝道はかなり古いもので歴史を感じさせてくれるのですが、もうひと頑張り欲しいと思いました。ちょっとした工夫でもっと名所となる価値があると思います。そもそもいつの時代のものなのか、設置の経緯なども知りたいですよね。

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※横から見た医聖堂

三十三所以上あったように思うのですが、10分も経たずに医聖堂に到着です。新しい建物で、朱色がとても映えています。キレイですね。

この医聖堂からは同じ道を通らずに、大師堂の横に降りてくることができます。境内をほとんど一周した形です。

とここまで書くと、結構うろうろしていて時間がかかったように感じますが、お寺に到着してからまだ30分少々しか経っていないんです。それだけ、小ぢんまりしたお寺だと言うことでしょう。ゆっくり拝観しても、1時間もあれば十分だと思います。札所の数を打たないのであれば、泉涌寺に足を延ばしてもいいかもしれません。

しかし鳥居橋の様子や、境内の静けさなど、葬地を取り仕切っていたというのもうなずける、独特の雰囲気を持ったお寺です。那智山を請来したと言われるだけのものはあります。

というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!

 

南坊の巡礼記「特別拝観リレー」(2021.4.9) ▷ 南坊の巡礼記「今熊野観音寺」(2021.4.15)

南坊の巡礼記「今熊野観音寺」(2021.4.15) ▷ 南坊の巡礼記「清水寺」(2021.4.5)

 

最終更新:2021.5.27

*1:五来重『西国巡礼の寺』角川書店(1996)

*2:所収 塙保己一編『続群書類従 第28輯上 釈家部』八木書店(2013)

*3:西国三十三所札所会ホームページ「今熊野観音寺」2021.5.16閲覧

*4:泉涌寺ホームページ「泉涌寺について」2021.5.16閲覧

*5:前田孝道『御詠歌とともに歩む 西国巡礼のすすめ』朱鷺書房(1997)