西国三十三所の第十七番札所は、補陀洛山ふだらくさん六波羅蜜寺ろくはらみつじです。今では非常に小さなお寺となっていますが、もともとは広大な寺域を誇ったらしく、平清盛の邸宅や鎌倉幕府の六波羅探題などが置かれ、京における武家の軍事基地としても機能してきました。それゆえ、何度も兵火にあい焼亡しましたが、貴重な文化財を今に伝えてくれています。
六波羅蜜寺の巡礼情報
六波羅蜜寺の「六波羅蜜」とは、サンスクリット語の6つのパーラミターの音訳で、意味としては彼岸(※悟りの世界)に至るための6つの修行方法を指します。詳しくは六波羅蜜寺のホームページ*1をご覧ください。とても縁起がよい名前で、市聖いちのひじりとも称えられた空也上人の開基とも伝えられています。
六波羅蜜寺の縁起
六波羅蜜寺の成立縁起は、六波羅蜜寺のホームページに詳しく記載されています。
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ただ、比較的創建が新しいお寺であり、今までのお寺のような伝説的な縁起はありません。ホームページの記述をもとに、簡単にまとめたいと思います。
六波羅蜜寺の創建は、平安時代中期の天暦5(951)年のこととされます。開基は醍醐天皇の第二皇子だったともいわれる空也上人です。上人は当時京の都に流行した疫病退散を願い、自ら十一面観音像を刻み、車の上に安置して市中を曳いて回り、小梅の欠片と結昆布を入れたお茶を病人に配り、病魔を鎮められたということです。このお茶は現在もお寺に伝わっており、皇服茶として正月三が日に授与しているそうです。
また、応和3(963)年8月に各地の高僧600名を招き、金字大般若経を浄写、転読し、夜には大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を営んだとされます。これは現存する空也上人の祈願文に記載されており、確実なことと考えられます。
以上のことから、このお寺は空也上人により疫病退散のために造立されたお寺であると言うことができるでしょう。
民俗学者の五来重さん*2によりますと、このお寺の起源に関してより興味深いことが分かります。
「六波羅」の寺号のもとですが、「六原」が起源である、とのことです。この地域は洛外にある鳥辺野とりべのの風葬地帯であり、髑髏どくろがゴロゴロしていたことから、もともとは髑髏原と呼ばれていたそうです。髑髏原が六原になり、より縁起のよい六波羅蜜へと変化していったとされます。
しかも六波羅蜜寺自体の建立は空也上人ではなく、弟子であり天台宗の僧侶であった中信であるといいます。空也上人には大きなお寺を建てるつもりはなく、西光寺という小さなお寺を建てられたとのことで、現在も空也上人の供養塔が残っているそうです。
空也上人は市聖とも呼ばれ、橋をかけたり道路を直したりと、庶民のために活躍されました。葬送の地であった鳥辺野を拠点として、庶民のために奉仕活動をされていたということは、ほぼ間違いないことではないでしょうか。
六波羅蜜寺の見所
六波羅蜜寺の見所をご紹介します。
阿古屋塚
※阿古屋塚
阿古屋の菩提を弔うために鎌倉時代に建立された供養塔です。下の台座には古墳時代の石棺の石蓋が使用されているそうです。阿古屋とは歌舞伎「壇浦兜軍記」に登場する白拍子で、平家の残党、悪七兵衛景清(※藤原景清)の恋人でした。そこで源氏方の代官秩父庄司重忠(※畠山重忠)が阿古屋を捕らえて景清の所在を問います。阿古屋は詮議の末、琴を一点の乱れもなく弾きとげることで潔白を証明しようとします。その曇りない琴の調べに感動した重忠は、阿古屋を解放しました。それゆえこの演目は「琴責め」としても知られています。
平清盛公乃塚
※平清盛の塚
平清盛の供養塔です。清盛の祖父正盛の代から平氏はこの六波羅との縁を深め、清盛の邸宅もこの地にありました。それゆえ供養塔も残っています。
本堂
※本堂
現在の本堂は室町時代初めの貞治2(1363)年の修営で、明治時代以来荒廃していましたが、開創一千年の記念に1969年に解体修理が行われたそうです。その際、創建当時のものと思われる梵字・三鈷・独鈷模様の瓦をはじめ、泥塔約8,000基が出土したとのことです。国指定の重要文化財となっています。ご本尊の十一面観音立像は平安時代の造立とされ、国宝に指定されています。
銭洗い弁財天
※銭洗い弁財天
お金を洗って財布に入れておくとご利益があるという弁天さまです。
水掛不動尊
※水掛不動尊
水をお掛けすると勝運がつくというお不動さまです。
宝物館
※宝物館入口
重要文化財の空也上人立像や平清盛坐像などが展示されています。
※空也上人立像(出典:Wikipedia)
空也上人像はよく日本史などの教科書に掲載されている写真です。口から出ているのは「南無阿弥陀仏」の6文字で、それぞれの文字が阿弥陀如来の化仏となっています。運慶の四男康勝の作とされます。
※運慶坐像(出典:Wikipedia)
以下に、収蔵されている重要文化財を列挙します。
重要文化財
・薬師如来坐像(平安時代)
・地蔵菩薩立像(平安時代)
・多聞天立像(平安時代)
・広目天立像(平安時代)
・持国天立像(平安時代)
・増長天立像(平安時代)
・地蔵菩薩坐像(鎌倉時代)
・吉祥天立像(鎌倉時代)
・閻魔大王像(鎌倉時代)
・弘法大師坐像(鎌倉時代)
・空也上人立像(鎌倉時代)
・平清盛坐像(鎌倉時代)
・運慶坐像(鎌倉時代)
・湛慶坐像(鎌倉時代)
珍しい地蔵菩薩坐像は運慶の作とされ、運慶と息子の湛慶の像があることから所縁を感じさせます。写真はこちらでご確認ください。
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六波羅蜜寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
おもくとも いつつのつみは よもあらじ
ろくはらどうへ まいるみなれば
(重くとも 五つの罪は よもあらじ
六波羅堂へ 参る身なれば)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*3によります。
五つの罪とは最も重い罪で、無間地獄という恐ろしい地獄へ落ちて行く五逆罪のことです。数え方に幾つかありますが、代表的なものは、一、父を殺す、二、母を殺す、三、阿羅漢(人々から尊敬供養を受ける聖者)を殺す、四、祖師を殺す、五、仏を殺すの五つです。
(中略)
そこでこの御詠歌の意味は、「かねがね我々凡夫は罪深い身ではあると思っているけれども、五逆罪のごとき重罪までは犯していない。ここ六波羅蜜寺へお参りするような人であれば、よもやどなたもそのような罪深い人はいないであろう」と受けとらせていただくことができようかと思います。
「五」と「六」がセットになっています。あくまで私のイメージですが、六の方が五よりは大きいので、五逆罪を犯したような人物でも、六波羅堂にお参りすることによってその罪が消され、無間地獄に落ちるようなことはないだろう、と言っているように思います。
六波羅蜜寺へのアクセス
六波羅蜜寺のホームページに詳しいアクセス情報が掲載されています。
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公共交通機関
JR「京都駅」から京都市営バス86系統「清水寺 祇園・平安神宮」行、100系統「清水寺・銀閣寺」行、106系統「清水寺・祇園」行、206系統「三十三間堂 清水寺 祇園・北大路バスターミナル」行に乗車、「清水道」下車徒歩約7分(「京都駅」から約25分)。
※京都のバスは種類が多く、同じ系統でも反対方向に行く場合もあるので注意すること
お車
第二京阪道路「鴨川西IC」から北東に約20分。
駐車場あり。3台。無料。
※3台駐車できる
五条坂参道上方に京都市清水坂観光駐車場あり。約60台。1040円。
他にも民営駐車場が複数あるも単位時間当たりの駐車料金はいずれも高め。
六波羅蜜寺データ
ご本尊 :十一面観世音菩薩
宗派 :真言宗智山派
霊場 :西国三十三所 第十七番札所
洛陽三十三所観音霊場巡礼 第15番
都七福神まいり 弁財天
神仏霊場巡拝の道 第118番
所在地 :〒605-0813 京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町81-1
電話番号:075-561-6980
拝観時間:8:00~17:00
拝観料 :無料 宝物館は600円
URL :https://www.rokuhara.or.jp/
第十六番 清水寺 ▷ 第十七番 六波羅蜜寺 ▷ 第十八番 六角堂 頂法寺
南坊の巡礼記「六波羅蜜寺」(2021.4.15)
清水寺の参拝を終えて京都市清水坂観光駐車場に戻ってきたのが11時30分ごろでした。少し早いですが、昼食を先に済ませることにします。この辺はいろいろあるし、適当にぱっと入ったらいいやと思い、駐車場のすぐ上にあった蕎麦のお店に入りました。実は後から気がついたのですが、イオンなんかにも割と入っている清修庵清水店でした。何の新鮮味もない……。しかも価格設定は強気の一言! 鶏なんばそばとミニ豆富丼のセットにしたのですが、税込みで1,518円でした。まさかの醍醐寺超えです。店によって値段が違うんでしょうかね。和歌山のイオンで食べたときにはそんなに高くなかったように思いますが……。まあ、味はおいしかったです。とくに初めて食べたミニ豆富丼はよかったです。
さて、事前のリサーチでは六波羅蜜寺には駐車場がないということでしたので、今停めている駐車場から歩いてお寺を目指すことにします。五条坂を下り、東大路通りを渡って、西の方に進みます。事前にGoogleマップをちらっと見ておいたのですが、東大路通りと鴨川の間ということが分かっていましたので、まあ適当に歩いても着くだろうと思っていました。
それで適当に歩いていたところ、横を並走するような形になったお父さまに話しかけられました。まあ、こちらは巡礼の姿をしておりますので、何者か分かる方にはすぐ分かるわけです。お話によるとお父さまはすでに3回も西国三十三所を回っておられ、毎月清水寺に参拝しておられるようです。坂東三十三ヶ所と秩父三十四ヶ所を回って百観音を成就したいとおっしゃっておられました。巡礼熱の高い、奇特な方です。しかも、私を六波羅蜜寺まで案内してくださいました。ありがたいことです。
ということで、迷うこともなく12時10分ごろ、六波羅蜜寺に到着です。京都市清水坂観光駐車場から10分程度で着きました。しかし何と、駐車場が微妙にあります。3台しか停められませんが。
※駐車場案内板
一応参拝者も利用できるということですので、タイミングがうまくあえば停めてもいいかもしれません。ただ、周辺の道はとても細く、車で入ってくるのはあまりお勧めできません。南側には小中学校もあり、登下校時間に重なったら身動きがとれないと思います。私はお父さまとの出会いもありましたし、歩いてきて正解だったと思いました。
※六波羅蜜寺案内板
境内に入って思ったことは、せまい!ということです。どうやら弁天社の工事をやっているようで、入口を入るとすぐに工事現場の幕で覆われています。その幕と本堂の間のせまい隙間に阿古屋塚や平清盛の塚があります。Googleマップで見るかぎりでは、工事をやっていなかったらもっとスペースがあるようです。
※六波羅蜜寺境内
※阿古屋塚説明碑
阿古屋塚の脇に顕彰碑があります。五代目坂東玉三郎と名前が書いてありますが、おそらく顕彰碑建立の費用を出されたのだと思います。 歌舞伎役者さんですから、阿古屋も何度も演じておられるのでしょう。私ももうちょっと歳をとれば歌舞伎の面白さが分かるようになると思いますが、今はまだそちらに食指が伸びていきません。五代目坂東玉三郎さんといえば、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で正親町天皇おおぎまちてんのうの役を演じておられました。ドラマでは、明智光秀が謀反を起こした直接の動機は、織田信長に将軍足利義昭の暗殺を命じられたことでしたが、正親町天皇の意向もいろいろと反映していたような描かれ方をしていました。重厚な、無二の存在感を放っていましたよね。
さて、本堂でお参りをさせていただきます。結構、参拝者が多いです。何と、今熊野観音寺でお見かけしたきちんとした白衣を着られた年配のご夫婦巡礼の方がいらっしゃいました。おまけにご挨拶までいただきました。巡礼仲間同士、心が通じるものがあります。
内陣には靴を脱いで上がることができます。正座して、納経をさせていただきました。例によって虎の子の『西国三十三所勤行次第』を忘れてしまっていますので、般若心経と延命十句観音経を口の中でお唱えしました。
納経所は内陣の左側にあります。並ぶことなく、すぐにご宝印を書いていただけました。ご詠歌のとおり、六波羅堂と書かれています。ちょうど二人のお坊さまらしき方が窓口にいらっしゃったのですが、私のを書いていただいている間にお一人は昼休憩に行かれたようでした。
ここはおみくじが有名です。開運推命おみくじといいまして、四柱推命学に基づいたおみくじです。一般的なおみくじはその時たまたま引いたくじの運といったものになりますが、こちらは生年月日に基づいてきちんと計算されているものです。クリアブックで生年月日を調べると、何番に該当するかが分かるので、納経所の方に番号を申告するとおみくじがもらえます(※400円)。私はその制度を知らずに直接「おみくじをください」と言ってしまったところ、ご親切にも調べてくださいました。
私の運勢は……。
何と、大運は傷官で年運は正財でした! ……と言っても、これだけではまったく意味が分からないと思います。このおみくじでは十の星まわりがあり、大運の星と年運の星の組み合わせで百通りの星のめぐりになるようです。すべて経験するには、100年かかるというわけですね。傷官は開拓・辛辣・衝突の星まわりで、正財は安定・節約・蓄財・労働の星まわりだそうです。何となく宮仕えにとってはイマイチな感じで、自営業にとってはいい感じということのようです。とりあえず健康運は「比較的良好」とのことですので、元気に頑張ることにします。
本堂の裏手には、宝物館があります。ここにはかの有名な空也上人像があるということで、実は結構楽しみにしておりました。倫理の授業を担当しているので、毎年空也上人のお話をさせていただいております。その際、教科書に載っている写真を使って、やれ焼き鳥を食べてるだの、やれ煙草を吸ってるだのといじっているのは私です。申し訳ございません。
というわけで受付で600円をお支払いし、中に入ります。中は意外とせまいです。100平方メートルはないでしょう。順番に仏像や人物像が並んでいます。
左手に、ありました。空也上人立像です。思っていたより小さいです。像高についてちょっと正確なデータが見当たらないのですが、150cmはなかったと思います。もしかすると、当時の人の栄養状態から考えると、等身大なのかもしれません。全体的に細身なのですが、きっと1日に何kmも歩いたであろう骨太さのようなものも感じました。日本人のマラソン選手も見た感じ細く見えますよね。おそらく筋肉モリモリになると、エネルギーの消費が大きくなってしまい、日本人の体質ではマラソンに不利になるのでしょう。 まあ、個人の感想ですが。
隣にあったのが平清盛坐像です。僧形で、こちらはどちらかというと大きく感じます。これも等身大でしょうか。武人らしいたくましい体つきですが、剃髪後の姿であり、表情は極めて穏やかです。清盛がこんなに心穏やかに過ごした月日はあったのでしょうか。権力の階梯を昇りつめ、それを維持するのに必死だった毎日を考えると、せめて肖像だけでも穏やかにしたかったのかもしれません。
また、運慶作と伝わる地蔵菩薩坐像もありました。お地蔵さまの坐像というのは、寡聞にして珍しいように思います。あくまで私のイメージですが、地獄で人々を救うのに忙しいお地蔵さまは、座っている暇がないような気がします。
空也上人像も運慶の息子康勝の作でしたが、このお寺は運慶に所縁があるようで、運慶とその息子湛慶の坐像もありました。
宝物館の中はもちろん撮影禁止ですから、皆さんに写真をお見せできないのが残念です。これはやはり、ご自身の目でご覧になっていただきたいと思います。人物像はとくに、どの像も生きているのではないかと思うくらいに、写実的な像になっています。
最後に、境内の北側の建物に行きました。
※銭洗い弁財天・水掛け不動尊覆屋
建物の名前が分からないのですが、中に銭洗い弁財天と水掛け不動尊がお祀りされています。私の前に三人のお姉さま方がいらっしゃり、とくにお一人は他の方が出られた後も熱心に銭洗いをしておられました。お金はあって困るものではありませんので、分かります。私はお金だと使ってしまうと思い、「特別展 三国志」で購入して財布に入れている呂布りょふの護符を洗わせていただきました。お金が増えるとありがたいですね。
これで、六波羅蜜寺の参拝は終了です。これからまた京都市清水坂観光駐車場にもどり、次の六角堂を目指したいと思います。
平清盛坐像や清盛の供養塔があるなど、平家の往時をしのばせてくれるいいお寺です。弁天社の工事が終わって、広々とした境内も見てみたいと思いました。
というわけで皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「清水寺」(2021.4.15) ▷ 南坊の巡礼記「六波羅蜜寺」(2021.4.15)
南坊の巡礼記「六波羅蜜寺」(2021.4.15) ▷ 南坊の巡礼記「六角堂 頂法寺」(2021.4.15)
最終更新:2021.5.27