西国三十三所の第四番札所は、槇尾山まきのおさん施福寺せふくじです。和泉山脈の北側中腹にあり、ご詠歌に詠われるようにまさに深山幽谷の入り口と言えます。山は四季折々に表情をかえ、自然の豊かさを感じさせてくれるお寺です。車で行くことはできず、最寄りの駐車場からでも30分程度山道を歩く必要があり、未だに霊地としての威厳を備えています。
施福寺(槇尾寺)の巡礼情報
お寺の正式名称は施福寺ですが、古くから槇尾寺まき(の)おでらとも呼ばれて親しまれてきました。お寺の標高は485メートル*1ですから、そんなに高さはないように思いますが、実際に登ってみると、傾斜がわりと急なことからなかなかにきつい山道です。
施福寺の縁起
施福寺はオリジナルのホームページを持っておられませんが、Facebookを持っておられ、折々の山の風景をアップしておられます。これはこれで見ているだけでとても美しいものです。
縁起に関しては、2018年2月21日に固定された投稿として上げておられます。それをかいつまんで説明させていただきますが、施福寺Facebookによると詳しい縁起は「槇尾山大縁起」なるものに説明があるとのことです。
施福寺は、聖徳太子の祖父にあたり、6世紀中ごろに在位した第29代欽明天皇の勅願により、加古の行満上人ぎょうまんしょうにんが建立されました。加古とは加古川のことです。当時ヤマト政権が中国に使いを送る際には、加古川をさかのぼって現在の兵庫県丹波市あたりで船をいったん陸揚げし、由良川の方に出て日本海側に至り、中国を目指したということです。山陽地方や北九州にヤマト政権に従わない豪族がいたのかもしれません。
陸揚げして山の中を運べる程度の船ですから、大した船ではなかったのでしょう。そこで泉大津の港の上流にあたる今の槇尾山に、大和国の巻向山から航海の安全と戦勝を祈る神様である磐筒男神いわつつのおかみが招聘され、お山の名前も巻尾山とされた、とのことです。そしていつしか時を経て巻尾山が槇尾山と表記されるようになった、とFacebookには記されています。
施福寺の見所
仁王門
※仁王門
二尊の仁王像に守られた、まさに山門と呼ぶにふさわしい深山の入り口です。実はここまでも駐車場から少し歩かなければなりません。慶長8年に豊臣秀頼が山上堂を再建したとされています*2ので、この仁王門もその時の再建でしょう。山中にあるため風雨にさらされたのか、いい感じに侘びています。
また、和泉市広報誌「広報いずみ」*3によると、仁王門の仁王像の形は運慶・快慶が造立した東大寺南大門の仁王像によく似ており、類例は全国でも4例しかないとのことです。
※阿形
※吽形
愛染堂
弘法大師が20歳のとき、この愛染堂で勤操大徳ごんぞうだいとくから受戒して剃髪したと伝えられています*4。
※弘法大師御髪堂
弘法大師の剃髪された髪の毛が祀られていると思われます。
本堂
※本堂
江戸時代末期の弘化年間(1845~48年)に堂塔は山林火災で焼失しているとのことで、本堂は少し後の再建です。後に掲載する方違大観音像が安政年間(1855~60年)再建とのこと*5ですので、おそらくそれまでには本堂も再建されたのでしょう。色の違う瓦を使用しており、美しい外観を伴っています。
本堂内陣
※本堂内陣の様子
拝観入場料500円で本堂の内陣に入ることができます。他には類を見ない、唯一無二の仏像が数多く安置されています。写真撮影も公認されていますので、仏像マニアにとっては必訪のお寺です。
※施福寺ご本尊 弥勒菩薩坐像
※西国三十三所観音霊場札所ご本尊 十一面千手観世音菩薩立像
※日本唯一の方違大観音 像高約5メートル
※病気平癒を願うなで仏(涅槃仏)
※おみくじの元祖元三大師(中央手前) 十一面千手観世音菩薩立像(中央奥) 槇尾不動尊像(左) 竹生島より請来したとされる槇尾弁才天像(右)
※花山法皇足守の馬頭観音像 足の裏を見せているのは日本で唯一
観音堂
※観音堂
西国三十三所の各ご本尊が祀られています。昔は札所すべてを回ることができる人は少なかったため、ご利益を受けるためにこのようなひな壇型や、お砂踏みなどが各札所に設けられました。
施福寺のご詠歌
ご詠歌とは、花山法皇が各札所で詠まれた歌と伝えられています。
みやまじや ひばらまつばら わけゆけば
まきのおてらに こまぞいさめる
(深山路や 桧原松原 わけゆけば
槙の尾寺に 駒ぞいさめる)
漢字表記、歌の解釈は紀三井寺前貫主前田孝道師*6によります。
今から千年昔、花山法皇がお参りのときも、「桧原越え」の難所を越えてのお参りであったと思われます。当時は今よりもまだ、桧や松などが鬱蒼と繁り、下草やいばらが巡礼や旅人の行く手を厳しくはばんだに違いありません。粉河から槙尾山への路は、御詠歌の深山路という言葉の通りであったはずです。そして桧や松などの生い茂った林や、藪をかきわけながら槙尾寺はいずくかと探しながら進んで行くと、はるか彼方より馬の嘶いななきが聞こえる。馬の嘶きをたよりに行けば、嬉しやこれぞ観音さまのお導き、槙の尾寺に参ることができたというのです。
確かに北側から山に入って中腹の施福寺まででも深山に分け入るという感覚なのに、粉河寺から歩いて和泉山脈を越えて来たときには、どのように感じるのでしょうか。馬の声を聞いて勇気づけられたというのも、うなずけるご詠歌です。
施福寺へのアクセス
和泉市観光ホームページ「SATOMACHI IZUMI」に詳しいアクセス情報が掲載されています。
公共交通機関
泉北高速鉄道「和泉中央駅」から南海バス「父鬼」行、「槙尾山口」行に乗車「槙尾中学校前」下車。オレンジバスに乗り換え「槇尾山」行に乗車、「槇尾山」下車徒歩約30分(「和泉中央駅」から約90分)。
※時刻表は2020年10月12日現在のものです
お車
阪和自動車道「岸和田和泉IC」から国道480号線を高野山方面へ南下、府道228号線を南下。約30分。
槇尾山観光センター前に駐車場あり。30台程度。無料。
※カーナビ使用時には「施福寺」では裏山側へ案内される場合あり。「槇尾山観光センター」を目的地にするとよい
※軽自動車専用駐車場 手前に一般車専用駐車場があるので軽自動車はこちらを利用すること
施福寺データ
ご本尊 :十一面千手千眼観世音菩薩
宗派 :天台宗
霊場 :西国三十三所 第四番札所
西国愛染明王霊場 第十五番札所
神仏霊場巡拝の道 第52番
所在地 :〒594-1131 大阪府和泉市槇尾山町136
電話番号:0725-92-2332
拝観時間:8:00~17:00(冬季は16:00)
拝観料 :無料(本堂内陣は500円)
第三番 粉河寺 ◁ 第四番 施福寺(槇尾寺) ▷ 第五番 葛井寺
南坊の巡礼記「施福寺(槇尾寺)」(2021.3.3)
岸和田和泉ICを下りてから約30分ほどで、槇尾山観光センター前の駐車場に到着です。槇尾中学校を過ぎてからも新しくなった府道はかなり快適な道となっており、走りやすかったのですが、和泉市立青少年の家「槇尾山グリーンランド」を過ぎてからは道が急に細くなり、車1台がやっと通れる道でした。駐車場は、とても停めやすいです。駐車場前にトイレがありますが、年季が入っているものですので、ご留意ください。境内にあるトイレの方が外観はキレイでした(ただしバイオトイレということで、中はどのようなものかは不明です)。
※参道入り口
さあ、いよいよ出発です。人によっては西国一の難所と言われる方もあるそうです。どんな感じでしょうか。
※いろいろな見所を伝えてくれる看板群
※八丁の丁石
早速丁石です。一丁が約109メートルですから、ここから伽藍まではあと872メートルということですね。槇尾山は八丁から減っていくカウントダウン形式ですので、頑張りやすいです。上醍醐に行ったときは、ゴールが何丁か分からずに丁石を追いかけていきますので、どれくらいまで到達できているのかが分かりにくく、非常にこたえました。
※六丁の丁石
仁王門に到達する前にすでに六丁まで来ました。すでに4分の1は過ぎたことになります。時間にして5分少々くらいでしょうか。快調なペースです。
※石塔
この石塔も、いい感じで侘びています。苔がすごいですね。
※仁王門
偶然ですが、非常に映えてる写真が撮れました。仁王門をくぐり、いよいよ境内です。老夫婦を追い抜かし、サクサク登っていきます。老夫婦の方は、お父さまの足がお悪いのか、なかなか大変そうでした。頑張ってください。
※五丁の丁石
こういうところをひたすら登っていきます。まだ8分の3しか来てないですね。
※二丁の丁石
五丁から10~15分くらいは歩いたでしょうか。急に二丁です。四丁、三丁は見落としたようです。しかも二丁も倒れかかっています。もう4分の3来た、ということですね。先が見えてきました。
※注意喚起の案内板
私はお杖があるので手すりは必要ないのですが、うっかりお杖なしで登ると確かに手すりが欲しくなるくらい急な傾斜の階段も多いです。昨年に老夫婦がこけてしまわれたということで、お寺の方がロープ(いわゆる虎ロープ)を設置されたようですね。しかし何でしょう、ロープをわざわざ外す人がいるようで、そういう方々に対する注意喚起の案内板です。以前、「西国三十三所 観音巡礼ってどうやるの? 作法はあるの?」でも述べましたが、せっかく巡礼に来ているのですから、お互いに周りの方々を思いやる行動をしたいものですね。
※一丁の丁石
残り一丁ということで、ラストスパートです。もはやゴール間近ですね。そこから一度ほど九十九折を折り返すと弘法大師剃髪と伝わる愛染堂に到着です。そして、振り返ると、本堂をはじめとする伽藍らしきものがうかがえます。
しかし、最後の最後に最大の難関が待っていました。殺人的石段です!
※最後の石段
上が遠くかすんでいます。しかし、躊躇していても仕方がありません。登るのみです。一段一段、踏みしめながら登ります。その数何と146段! これだけでも十分難所と言えそうですが、25分くらい山道を登ってきて、最後にこれです。やはり西国三十三所の難所の一つと言ってよさそうです。
※本堂
ようやく西国三十三所の第四番札所、槇尾山施福寺の本堂到着です。この石碑には「槇尾寺」と書いてありますね。ここまで参道入り口からほぼ30分くらいです。
本堂でお勤めをして納経帳にご宝印をいただきます。その後、様子をうかがっていると、何と500円支払えば本堂内陣に入れるとのこと。早速500円をお支払いし、中に入らせていただきます。納経所のお坊さまがわざわざ「写真撮影ができます」と教えてくださいました。
これは非常に珍しいことです。あらゆる仏像というものは二面性を有しているもので、信仰対象としての仏像と、芸術・歴史の研究対象としての仏像との両面があります。当然信仰対象として考えた場合には、写真を撮るのは適切な行動ではない、ということになるでしょう。しかし、芸術・歴史の研究対象としての仏像は、現在の姿を後世に伝え、研究の発展に役立てていく必要があります。
お寺の方がそれぞれどちらの立場を尊重するかによって、写真撮影に対する考え方が変わってきます。ですから私は、写真撮影が可能ならば写真を撮り、皆さまにご紹介いたしますが、不可能な場合はホームページ等をご紹介して、オフィシャルな形で参照していただきたいと考えております。
※欄間の十二支の彫刻
内陣の欄間には、十二支が彫られています。真ん中が今年の干支である丑うしになります。右は子ねずみ、左は寅とらですね。ちなみに私は寅年生まれです。来年は年男ですね。
※馬の銅像
本堂から出ると右前の少し高くなっているところにこの馬の銅像があります。深山に分け入られた花山法皇も、やっとの思いでこのような悍馬の嘶いななきを聞き、槇尾寺にたどり着かれたのでしょう。
※梅の木
境内には、梅の花も咲いていました。この日はひな祭りですが、桃が咲くにはまだ早かったようです。
※和泉山脈の山々
方角はよく分かりませんでしたが、昔の巡礼者や修験者たちはこのような山々を越えて旅をしていたのでしょう。
下山時にはオール巨人師匠をマイルドにしたようなお父さまに話しかけられ、いろいろと巡礼のことを聞かれました。私の知る範囲でお答えしておきましたが、喜んでくださっていました。だいたい私に話しかけてこられるのは、100パーセントの確率でおじさんです。
難所とはいえハイキングコースにもなっており、平日にもかかわらず参拝者、来山者も多かったように思います。それほど身構えなくても、大丈夫だと思いますよ。
それでは皆さんも! Let's start the Pilgrimage West!
南坊の巡礼記「粉河寺」(2021.2.23) ◁ 南坊の巡礼記「施福寺(槇尾寺)」(2021.3.3)
南坊の巡礼記「施福寺(槇尾寺)」(2021.3.3) ▷ 南坊の巡礼記「叡福寺」(2021.3.3)
最終更新:2021.5.27